小さな泡が彼の何倍もある円柱状のガラスで出来た容器の中を下から上へと昇っていく。この容器の中の青い水溶液に出来る泡はその中に入っているモノたちが生きている証拠である。そして毎日それを見ている彼にとっては別段珍しい光景と言うわけではないが、彼の瞳は不思議なものを見るようにそれを追っていた。
「またここに居たのか…ん?なんだ、邪魔だったか?」
「…いいえ」
彼が長い金色の髪と白衣を翻して振り向いてから目を細めたのでしわがれた声の主は彼の邪魔をしてしまったのかと眉間に皺を寄せると、それに彼は軽く笑って小さく首を振り否定する。暗い部屋の中声の主の白衣と髪があまりに白く周りにあるものから発せられる光を反射していたせいで、暗さに慣れた自分の目には眩し過ぎたのだと彼が説明すると、声の主はほっとしたように眉間の皺を解いた。
「それにしても、相変わらず飽きずにここに居るな。ここに住み着くつもりか?」
呆れた、とばかりに今度は声の主が小さく頭を振れば、彼は流石に住み着きはしませんよ、と苦笑しながら答える。その答えに声の主が小さく笑いを溢すのを見て、でもね、と彼は続けた。
「何時までも見ていたいとは思います」
「ケフカ」
そう言って彼が先ほどまで見ていたガラスの容器へとまた目を移そうとするとその背中に彼の名前が投げかけられる。少しだけ悲しそうなその音は、きっと次にその声が紡ぐのがいつものあの言葉だろうと彼に予想させた。
「コレは、わしらにとってはただの研究対象であり実験対象だ」
あぁ、やっぱり。
彼は声の主に半分背を向けたまま、小さく息を吐く。そして声の方へと向き直ると、彼の目には困ったような笑顔が闇の中に浮かび上がっているのが見える。
『仕方ないのだよ。わしらには救ってやることも、自由にしてやることも…どうすることも出来ないんだ』
昔、そう言われた時も彼の目に映ったその笑顔は彼の胸をキリリと痛ませる。
自分にも言い聞かせるために、そして同じように心を痛めている同士の為、彼は小さく笑いながら口を開いた。
「解っています」
この言葉の意味はこの研究室に居る誰もが解っていて、こんな風に言い聞かせるなど馬鹿馬鹿しい行為なのだから。お互いに心を砕くことはありませんよ。そう言って更に笑んでみせるが目の前の顔は困ったような笑顔を貼り付けたままで、彼もそのまま笑みを貼り付けるしかなかった。
彼も、声の主も、未だにこの“解りきったこと”に疑問と反発を感じているし、お互いの思いも知っている。
だからこそこの場所の“常識”と“それに従う意思”をお互いが確認する為に、声の主は彼にだけは何度も言い続けるし、彼も何度もその言葉に答え続ける。
きっとこの酷く馬鹿馬鹿しいやり取りが終わるのはどちらかが居なくなったときか、どちらかが人ではなくなった時なのだろうな、と彼は静かに瞳を閉じた。
「……早めに部屋に戻って休むようにな」
その声に閉じていた瞳を開くと、声の主は既に背中を向け出口に向け歩き出していくところだった。その背中に小さく微笑んで、彼はまたガラスの容器に向き直る。ゴポリ、と音がして、ガラスの容器の中の青い水溶液の中にまた、泡が出来ては昇っていった。
“コレ”が研究対象であることは確かだ。このモノたちを研究することによってその力を理解することが出来るのなら。そして、それを応用することが出来るのならば世界は潤うのだろう。…でも、それ以外に使ってしまえば。
悪い予感に彼は小さく身震いして、それを振り払うように首を振る。
だからこそ研究し、それを活かさねばならないのだ。自分のような生い立ちの人間が増えることだけは絶対にいけない。
そうだ、解っている。そんな事は。しかし…
無意識に瞳を細めたことにより標準がずれ、ガラスの容器に彼自身の姿がハッキリと映って見え、彼もまた目の前のモノたちと同じく容器の中に閉じ込められているような錯覚に陥らせる。
もしかしたら、自分も“コレ”と変わらないのかもしれない。
ふと、そう感じた彼は、そうであるならば、と言葉を紡ぐ。
「貴方たちにも、家族は居ましたか?」
「愛するものはありましたか?」
「感情は……あるのですか…?」
「…もしも…もしも、そうであるのなら…」
呟きに近い最後の言葉は静かな闇へと吸い込まれ、答えはどこからも返ってこない。
静まり返った闇に、ゴポ、と泡を吐き出す音が響いた。